2011年 01月 17日
チュニジアの青い空 いつまでも・・・ |
息をのむ美しさです、シディブサイドから見る地中海の陽光
イタリアのシチリア島はもう目の前!
ヨーロッパとイスラムの文化が融合したエキゾチックな街チュニスに、
このあと大変な事が起こるなど、私達は知る由もなく、、、
↑ いづれもシディブサイドの坂を上がった一番奥の見晴らしのいい←「cafe des delices」
2011年の夜が明けた
1月2日、
娘からのメールで
突然チュニジアにいく事に。。。
やってきたところは、
「チュニジアで最も美しい街」と言われる、sidi bou said (シディブサイド)
でも、、、、なんと、、帰国直後にテレビで、チュニスの街がスゴイことに、、、目を疑ってしまいました。。(帰国便満席でスタンバイチケットだったので帰りそびれる所だった理由がここで頷けました)
デモがあったメインストリートのカフェ→
オレンジ絞りたてのジュースのストローの上に紙ナフキンで作った可愛いいものがチョコンと。
↓パリのようなこんなおしゃれなフランス通り(ブルギバ通り) ここの歩道は通りの両サイドだけでなく、通りの中央も歩道になっている珍しい通り、つまり道りの半分かそれ以上が歩道になっているような感じです
帰国後テレビに映るフランス通りはこの国を長く苦しめて来た独裁体制に反発した多くの民衆で溢れ返っていた!
次の日にベンアリ元大統領が国外に逃亡、、、
デモがあったフランス通りはまるでヨーロッパの街並み
ふと、
空港から乗ったタクシー(乗ったと言うか、無理矢理乗せられた、と言うより私達の荷物を勝手に車に乗せていた)のドライバーを思い出しました。
ひつこくて、がめつくて、挙句の果てにカルタゴ遺跡まで遠回りし頼んでもないのに説明までし、距離をかせいで、メーター表示と違う料金を要求してきた、、でもどことなく愛嬌のある人だった(今はそう思いたい)
←cafe des delices それに、上の写真の素敵なカフェ、cafe des delicesでは、注文もしていないのに、今だかつて口にした事のないほどスゴイまずい御菓子をテーブルに勝手に置いていき、1000円を請求してきた、これまた憎らしいウエイター二人、(騙さないと収入がなかったのね、、今はそう思いたい)
← マズイ御菓子テンコ盛りです!!
cafe des delices
cafe des delice の夜。。。本当にきれい、、いつかきっと又帰ってきたいです、、お店の方、今度は騙さないでね。
↓カルタゴ遺跡とチュニスを回ってくれたタクシーのおじさん
(英語、仏語、伊語、アラビア語が話せます)
いい人でした、料金も最初に言われた料金だったし、、、
どこかで摘んできたブーゲンビリアまで私達に差し出して、
とても楽しい人でした
でもカルタゴの遺跡の度に「いっしょに写真を撮ってくれ~」と
(ええ!いや、あなたが私達を撮るんでしょ?
まっ、いいですけど、、、)
チュニジアのシェシアという赤いフェルト帽を私達にかぶせ
「あなた達が大好きだ!」と私達の名前を連呼して、、
次の日も空港までお願いしたのですが、空港で降り際
「本当にあなた達が好きなので、料金はいくらでもいい!」
(私達)「ええ!?」と叫ぶと、
「本当だ!本当にいくらでもいい!」
そうは言われても「一応いくらか言って下さい」と言うと
なんと、、、「じゃ、40ディナール」
(私達またまた)「ええ!」(空港まで15ディナールなのに、、、)
でもホテルまで迎えに来て荷物運んでくれて少し待たせたし、
昨日も一日お世話になったので
チップも含めて30ディナール渡しました~
おじさん、今頃どうしてるのかな?デモに参加してたのかな?
観光客も途絶えて、、困ってるだろうに。。。
皆さん、生活苦しかったのね、、(妙に納得しました)
1日も早くチュニジアの人達の生活が改善され、
民主化への道が開けますよう、、、
祈って止みません。
宿泊はsidi bou saidを感じたかったので、元邸宅を改装した
レストランやカフェにも近い
「hotel dal said」に2泊しました。
↓ホテル入り口
お部屋
少し狭いですが天井は高いです
↓朝食、黒猫も椅子に座ってます↓
↓通りに面してたつお店
↓坂を登りきったところに世界で最も古いカフェの一つ
フランス植民地時代にクレー、アンドレジイド、モーパッサンなどの芸術家も訪れたと言われる
↓ 「cafe des nuttes」 ↓
カフェデナットの有名な
松の実入りのミントティー
↑絶景です!1月初旬とは思えない暖かさ、頭の中を空っぽにしてブラブラ歩いていると、地中海が目に飛びこんできました!
1900年の初め、壁は白、扉、窓枠はブルーと決められました、これが世界で最初の景観条例となった様です
↑ 生活感溢れるチュニジアのこんな風景が好きです↑
夕暮れ時、道行く人もなく、白壁に落ちる淡い光と古びた石畳が旅愁を誘うシディブサイドの裏通り、世代が変わり、時が移ろうともいつまでも美しい姿のままであってほしい。
イタリアのシチリア島はもう目の前!
ヨーロッパとイスラムの文化が融合したエキゾチックな街チュニスに、
このあと大変な事が起こるなど、私達は知る由もなく、、、
↑ いづれもシディブサイドの坂を上がった一番奥の見晴らしのいい←「cafe des delices」
2011年の夜が明けた
1月2日、
娘からのメールで
突然チュニジアにいく事に。。。
やってきたところは、
「チュニジアで最も美しい街」と言われる、sidi bou said (シディブサイド)
でも、、、、なんと、、帰国直後にテレビで、チュニスの街がスゴイことに、、、目を疑ってしまいました。。(帰国便満席でスタンバイチケットだったので帰りそびれる所だった理由がここで頷けました)
デモがあったメインストリートのカフェ→
オレンジ絞りたてのジュースのストローの上に紙ナフキンで作った可愛いいものがチョコンと。
↓パリのようなこんなおしゃれなフランス通り(ブルギバ通り) ここの歩道は通りの両サイドだけでなく、通りの中央も歩道になっている珍しい通り、つまり道りの半分かそれ以上が歩道になっているような感じです
帰国後テレビに映るフランス通りはこの国を長く苦しめて来た独裁体制に反発した多くの民衆で溢れ返っていた!
次の日にベンアリ元大統領が国外に逃亡、、、
ふと、
空港から乗ったタクシー(乗ったと言うか、無理矢理乗せられた、と言うより私達の荷物を勝手に車に乗せていた)のドライバーを思い出しました。
ひつこくて、がめつくて、挙句の果てにカルタゴ遺跡まで遠回りし頼んでもないのに説明までし、距離をかせいで、メーター表示と違う料金を要求してきた、、でもどことなく愛嬌のある人だった(今はそう思いたい)
←cafe des delices それに、上の写真の素敵なカフェ、cafe des delicesでは、注文もしていないのに、今だかつて口にした事のないほどスゴイまずい御菓子をテーブルに勝手に置いていき、1000円を請求してきた、これまた憎らしいウエイター二人、(騙さないと収入がなかったのね、、今はそう思いたい)
← マズイ御菓子テンコ盛りです!!
cafe des delices
↓カルタゴ遺跡とチュニスを回ってくれたタクシーのおじさん
(英語、仏語、伊語、アラビア語が話せます)
いい人でした、料金も最初に言われた料金だったし、、、
どこかで摘んできたブーゲンビリアまで私達に差し出して、
とても楽しい人でした
でもカルタゴの遺跡の度に「いっしょに写真を撮ってくれ~」と
(ええ!いや、あなたが私達を撮るんでしょ?
まっ、いいですけど、、、)
チュニジアのシェシアという赤いフェルト帽を私達にかぶせ
「あなた達が大好きだ!」と私達の名前を連呼して、、
次の日も空港までお願いしたのですが、空港で降り際
「本当にあなた達が好きなので、料金はいくらでもいい!」
(私達)「ええ!?」と叫ぶと、
「本当だ!本当にいくらでもいい!」
そうは言われても「一応いくらか言って下さい」と言うと
なんと、、、「じゃ、40ディナール」
(私達またまた)「ええ!」(空港まで15ディナールなのに、、、)
でもホテルまで迎えに来て荷物運んでくれて少し待たせたし、
昨日も一日お世話になったので
チップも含めて30ディナール渡しました~
おじさん、今頃どうしてるのかな?デモに参加してたのかな?
観光客も途絶えて、、困ってるだろうに。。。
皆さん、生活苦しかったのね、、(妙に納得しました)
1日も早くチュニジアの人達の生活が改善され、
民主化への道が開けますよう、、、
祈って止みません。
宿泊はsidi bou saidを感じたかったので、元邸宅を改装した
レストランやカフェにも近い
「hotel dal said」に2泊しました。
↓ホテル入り口
お部屋
少し狭いですが天井は高いです
↓朝食、黒猫も椅子に座ってます↓
↓通りに面してたつお店
↓坂を登りきったところに世界で最も古いカフェの一つ
フランス植民地時代にクレー、アンドレジイド、モーパッサンなどの芸術家も訪れたと言われる
↓ 「cafe des nuttes」 ↓
カフェデナットの有名な
松の実入りのミントティー
by ainahaina_y
| 2011-01-17 23:51
| チュニジア